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2020年10月17日土曜日

狭霧の歌

 最近、歌の中に好んで「狭霧」という言葉を入れている。「霧」と単にいうよりも「さ/狭」と接頭語をつけるだけで、「霧」よりもより繊細な雰囲気がでるような気がするのだ。霧の歌はみな「狭霧」にしてしまうと、これもまた良くないかと思い、わざと意識して「霧」だけにしたりもしている。

 私は短歌は言語芸術だと思っているが、こうした接尾語一字を添えるだけで、趣が変わってくるところにも、それは言えると思う。

 以下の3首は、今月のTanka by Rika Inami 38 に掲載されているが、2番目の赤蓼の歌にも私は初稿で「狭霧」を使っていた。3首全部を「狭霧」と並べるのは、如何かと思い、故意に「赤蓼」の歌を「濃霧」に変えた。


みはるかす天(あま)つ狭霧(さぎり)はまひふりて刈田ひろがる雄勝野となる

as far as I can see

the heavenly mist comes in…

Ogachi Field

transforms into a vast expanse of

harvested rice fields

(C)2020Rika Inami 稲美 里佳

 白々と濃霧にかすむ刈田原ゆれねぎらふは畦の赤蓼

faint, white 

and dense mist veiling

harvested rice fields…

smartweeds on the ridge 

wave to them for thanks

(C)2020Rika Inami 稲美 里佳


 先のこと未だ見えずも我あゆむ狭霧のなかの車のライト


even though

I can’t see the future yet

I keep walking

… lights of a car in the fog


(C)2020Rika Inami 稲美 里佳


※当記事は、実は2週間前に書いたものです。UPし忘れていたので、本日UPします。






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