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2024年8月31日土曜日

むくげ / Rose of Sharon .......20240831

 

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ゆるやかに早秋の道つづきゐむ葉叢にうかぶ木槿は白し
:
my path in early autumn
will gently stretch on ―
Rose of Sharon
floating amid thick shrubs
blooms pure white
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( C) 2024Rika Inami 稲美里佳
:
:
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crystal dew ...
purity and clarity falling
drop by drop
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(C )Ashoka Weerakkody
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連日、ゆっくりと進み各地に被害をもたらしている台風10号(SHANSHAN)の進路に注意をはらっていますが、今(8月31日18時)は、近畿地方の東方、太平洋に目を置いているようです。今後、紀伊半島を北上し9月2日までには熱帯低気圧に変わるとのこと。
Yahoo News より。

台風が弱まり熱帯低気圧に変貌したとしても、雷雨や線状降水帯が発生し大雨をもたらすかもしれません。
ここ1週間ばかり、朝となく夕べとなく、台風の情報に注意を払っていましたが、油断は禁物のようです。

木槿の短歌は、台風の進路を気にしながら、早朝の雨が已んでまた軽く降ってきた雨にも打たれながら、ゆっくりと歩をすすめ散歩をしていた時に詠いました。

川沿いの道は私のお気に入りの散歩コースの一つです。

前日の雷雨で増水した川の流れから漸く目をそらし、しばらく歩いていました。この辺りには八重の木槿が咲く筈。その木槿を見ることも、この季節のその道の散歩の目当てでもあります。道の脇を見ると、咲いていました。灌木の葉叢のなかに咲く白い木槿を。去年は淡いピンク色だった筈と思いましたが、その日に見た木槿の色は、水晶のような雨露を花びらたたえ滴らせていた、思いがけない白でした。

木槿の学名は Hibiscus syriacus。 英名はRose of Sharon。
英名は、9年前にあるSNSに投稿した際に、アメリカ人の友人が教えてくれました。私は、花名の英名を調べるのが甘かったのか、そのときに学名からHybiscus 止まりで英訳してしまったのかもしれません。
"Rose of Sharon"、なんて素敵な花名でしょう。

 "Rose of Sharon"、シャロンの薔薇とは、旧約聖書の雅歌第2章に出てくる花のことです。
 
「わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。」と、雅歌第2章は始まっています。

思えば、いろいろな詩や文章でその言葉を見ていたような気がしました。

以来、私は "Rose of Sharon"を忘れることがありませんでした。
その聖書に出てくる花は本当に木槿なのか、薔薇なのか、百合なのか、はっきりとは分かりませんが、美しい花であることは間違いないようです。

また木槿は韓国の国花でもあります。

「無窮花(ムグンファ)」、次々に咲く生命力の強さから、古くから韓国で愛でられてきたようです。この花名も強さと深さが読み取れ、魅力を感じます。




2024年8月13日火曜日

2024年盆入りの迎え火 / 2024 Bon Welcome Fire 20240813

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 盆の入り小雨ふる中み魂(たま)見む燃ゆる迎え火やうやうの安

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Bon starts

seeing the departed’s souls

in light rain

Burning welcome fire

at last, I find my peace

 :

(C )2024Rika Inami稲美里佳

 :

 

お盆に入りました。その準備でここ二日ばかり買物や掃除でいろいろありましたが、今日はいよいよ本番突入です。入ったら入ったでそれなりにやることが決まっているので落ち着きます。この期間で私にとって重要な家事は、813日の盆入りから816日の送り盆初日まで精進膳を仏前に2膳供えることです。
 
2膳のうちのひとつは、わたしの先祖代々から両親・兄弟姉妹へ、もう1膳は縁者の方が無く亡くなられた無縁仏へ供えます。それが、母からわたしたちへと伝えられたお膳の上げ方です。
 
以前、精進膳の写真を投稿したとき、あるソーシャルメディアの友だちから、「まあ、信心深いこと」と言われたことがありました。わたしは、そう言われて、「ん?……何か違う」と思いました。が、強いてそのネット上の友だちには何も言わず流しました。なるほど、代を継いでお膳上げをやってはいますが、「信心深い」というものとは、何か違うのです。単に死後の世界を信じて、死者の救済のために供養する、仏に縋る等の信心深さではないような気がするのです。
 
以前、Googleプラスというソーシャルメディアがありました。そこでも、盆入りに精進膳の写真を投稿したのですが、その時に、やはり別の友だちに言われたことが心に残っています。
 
「よい風習ですね。日本にいつまでも残しておきたい文化です」
 
わたしの裡には、この方の言葉が残っています。
それは私の気持ちともしっくり合っているからです。
私はただ家の仏様のために仏前に上げて供養するということに加えて、こうした事細かい風習の実行を通して日本の文化が何百年、何千年かもしれませんが、長い間、代を継いで引き継いできたのではないかと思うのです。
 
自然の流れの中に生きることで、生死一体の世界を感じ、共同体を作り、さまざまな独自の文化を育んできた日本です。現代は、グローバルな感覚をもち世界の流れの中で生きる時代ではあります。が、それがゆえに、同時に民族が代を継いで伝え、あるいは育んできたものを受け継ぎさらに伝えていこうという風潮にもあります。
 
こうした意味からも、先祖供養の「信心深さ」に加えて、わたしはできるかぎりお盆のならわしである「精進膳」「お膳上げ」を実行してゆきたいと思います。
 
短歌は、今夜焚いた迎え火を見ての1首です。
 

蝉の歌/ A Cicada....20240813

 

朝の散歩時に蝉が私の肩にとまりました。しかも直ぐに飛び去るわけでもなく、じっと留まって、辺りを見回したりしていました。何故、このことを知ったのかといいますと、私は蝉が留まったと思うやいなや、iPhoneでそっと自撮りしたからです。フォト短歌は日本語版英語版2つ作りました。蝉の留まりようがお判りになるかと思います。
さあ、このまま蝉さんを肩に飾って帰ろうと思いましたが、そうはいきませんでした。
モゾモゾと動き出して、私の服の襟元から体の中に入ってくるような気配だったのです。思わず振ってしまいました(≧▽≦)

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いづくより飛びてきたるか我が肩に蝉のとまりてささめきにける 

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Where did it fly
from, all the way to me?
A cicada
rests on my shoulder
whispering gently.

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(C )2024Rika Inami稲美里佳

:



― Thank you for your reply―
:
稲美さんセミに好かれてセミロングの御ぐしがゆれる夏の木陰に

(C )岡本 信一
:

gently
a Cicada whispers, sharing ...
my loneliness
:
( C)Ashoka Weerakkody
:

ジイジイと孫と我呼ぶアブラ蝉
:
(C )石井 安憲