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2024年8月13日火曜日

2024年盆入りの迎え火 / 2024 Bon Welcome Fire 20240813

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 盆の入り小雨ふる中み魂(たま)見む燃ゆる迎え火やうやうの安

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Bon starts

seeing the departed’s souls

in light rain

Burning welcome fire

at last, I find my peace

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(C )2024Rika Inami稲美里佳

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お盆に入りました。その準備でここ二日ばかり買物や掃除でいろいろありましたが、今日はいよいよ本番突入です。入ったら入ったでそれなりにやることが決まっているので落ち着きます。この期間で私にとって重要な家事は、813日の盆入りから816日の送り盆初日まで精進膳を仏前に2膳供えることです。
 
2膳のうちのひとつは、わたしの先祖代々から両親・兄弟姉妹へ、もう1膳は縁者の方が無く亡くなられた無縁仏へ供えます。それが、母からわたしたちへと伝えられたお膳の上げ方です。
 
以前、精進膳の写真を投稿したとき、あるソーシャルメディアの友だちから、「まあ、信心深いこと」と言われたことがありました。わたしは、そう言われて、「ん?……何か違う」と思いました。が、強いてそのネット上の友だちには何も言わず流しました。なるほど、代を継いでお膳上げをやってはいますが、「信心深い」というものとは、何か違うのです。単に死後の世界を信じて、死者の救済のために供養する、仏に縋る等の信心深さではないような気がするのです。
 
以前、Googleプラスというソーシャルメディアがありました。そこでも、盆入りに精進膳の写真を投稿したのですが、その時に、やはり別の友だちに言われたことが心に残っています。
 
「よい風習ですね。日本にいつまでも残しておきたい文化です」
 
わたしの裡には、この方の言葉が残っています。
それは私の気持ちともしっくり合っているからです。
私はただ家の仏様のために仏前に上げて供養するということに加えて、こうした事細かい風習の実行を通して日本の文化が何百年、何千年かもしれませんが、長い間、代を継いで引き継いできたのではないかと思うのです。
 
自然の流れの中に生きることで、生死一体の世界を感じ、共同体を作り、さまざまな独自の文化を育んできた日本です。現代は、グローバルな感覚をもち世界の流れの中で生きる時代ではあります。が、それがゆえに、同時に民族が代を継いで伝え、あるいは育んできたものを受け継ぎさらに伝えていこうという風潮にもあります。
 
こうした意味からも、先祖供養の「信心深さ」に加えて、わたしはできるかぎりお盆のならわしである「精進膳」「お膳上げ」を実行してゆきたいと思います。
 
短歌は、今夜焚いた迎え火を見ての1首です。
 

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