堰(いせき)内 山肌削りながれくる濁流の波どっと押しよす
mountainsides’ soil…
muddy water
waves and rushes
inside the riverbank
Poet of the Fifth Dimension, Rika Inami's Blog. Her inner space is expressed in tanka , photographs and daily life. She loves her home land, Akita, the Land of Poetry and mainly she compose tanka on nature. 五次元歌人 稲美里佳の内面世界が短歌や写真、そして日常生活を通して描かれています。詩の国 秋田に在住し主として自然詠を詠っています。
堰(いせき)内 山肌削りながれくる濁流の波どっと押しよす
日常に御魂住む家(や)と知りたれど焚きて迎へむ夕べの盆火
(C)2022稲美里佳
当地は連日の豪雨で、昨日の13日にお盆を迎えました。
檀家のお坊様は朝の8:30に見えお経を上げてくださいました。
雨が怖いので、早くに見えられたとのこと。
二つ上げる精進膳はどうにか間に合いました。
抹香を焚こうとしましたが、なかなか点かず、こちらはお坊様が帰られた後に焚きました。
墓参と寺参りは雨の切れ間に午前中に一家でまいりました。
家に拝みに来てくださる親戚の方も雨を合間にいらしてくださいました。
例年は早くても午後4時以降、お盆の墓参は夕方でしたが、雨のせいで早くなってしまったのです。
昨日13日の豪雨警報はレベル4、滝が流れるような雨で怖かったです。
今日は警報が解除され、ひとまず落ち着きました。
ニュースでは主として県北の被害が大きかったようです。
農産物、比内地鶏に被害があり、残念です。
うちにはいつも仏さんがいるとは思いつつも、雨がとりあえず上がっているので、今日は迎え火を焚きました。
盆近く諸霊おり来か枕辺に久に見る亡き弟の面
Obon is soon...
the spirits may come down
my late brother
appears in my dream
after a long time
(C)2022Rika Inami 稲美里佳
亡くなった人が夢に出てきて、笑っていたり話しているのは吉夢、黙っている場合は凶夢と聞いています。亡き弟が夢に出てきましたが何も話さなかったので、いろいろ気を付けなければならないと思っています。体調や身辺について......最近また、WEB上に変な人が近づいてきているので、そのせいかしらとも思っています。
今日もそれほどは暑くありませんでした。
私の家の風通しが良いせいでしょうか。
最高気温時になる日中はエアコンのスイッチを入れていましたが、夕べにはオフにしました。
短歌で使われる文体について、しばしば口語体と文語体のどちらが良いのかいわれているようです。
これは、最近、私が自分の歌の文体に少し悩んで、世間一般ではどのようなことがいわれているのかと思い、調べたからです。
ある人が、「文語体で詠うのは恥ずかしいことだ」と書いていたのは驚きでした。
こういう意見も読んだあとで、私が思うには、その1首を詠う個人に与えられた言葉で文語体か口語体か決まるのではないかということです。
つまり、英語が母国語の人は英語で詠うように、フランス語が母国語の人はフランス語で詠うように、自己表現方法として人それぞれに与えられた言語で詠うようにです。
詠う内容・対象によっても決まると思います。
これも、個人が置かれた場が関係します。
対象への価値の置き処、同じ物を見ても、それがAの人にとっては貴重な物ではあるが、Bの人にとっては詠うに値しない無価値に等しい物と把えることもあります。
或いは、読み手に伝わりやすく表現するということがいわれています。
この点について、私の文語体短歌は読み難いのかもしれませんが、私自身は、私たち日本人は義務教育時から古文を学習し基礎は習得していると思うので、気にしていません。
理解されなければ、それは仕様がないことです。
これについては、口語体の短歌についても同様なことが言えます。
詠っているその対象とその歌の作者の心境を総ての人が認識し理解しているとは思えないからです。例えば、総ての人が東京に住み、東京の言葉を使い、同じ物を持ち、同じ人に接し、同じ心境ではないからです。
私は短歌を始めたのが、文語体からでしたから、短歌とは文語体で詠うのが普通であると思っていました。
が、Twitter やInstagram、Facebookで人気のある短歌、短歌誌で取り上げられる作品は多く口語体になっています。
目にした当初はそうした短歌に驚き拒んでいましたが、このごろは受け入れています。
理由は、上述のような理由からです。
おそらく、私は今後も文語体で詠ってゆくと思います。
5-7-5-7-7音、計31音という短い定型詩のなかで、簡潔に無駄無く自分をまとめあげるのは文語体を用いるのが私には適しているからです。
私の文語体は古語文法を用いることです。単語は新しく覚えた言葉を入れます。
今日もざっくばらんに言いたいことを書きました。このくらいにします。
歌は原爆忌への1首です。
以前にも掲載しましたが、フォト短歌にしてみました。
メールあり今宵見あぐる月読のメッセージかとほのかに思ふ
an
e-mail…
I
faintly believe it
from
Tsukuyomi
tonight,
my eyes
looking
up
※Tsukuyomi means the Moon God.
(C)2022Rika Inami 稲美里佳
一昨日までの豪雨のあと、とても涼しくなりました。
今朝の気温は20℃で半袖では寒いぐらいでした。
エアコンなしで昨日も今日も過ごしました。
月読の1首からおわかりかと思いますが、やはり私はまだ当分「不思議の国」にいるのかなと思います。
今回の安倍元首相狙撃事件から明らかになった旧統一教会の存在のように、私たち一般人には見えない存在の介入でこの社会の事象は起きていると思うからです。
なんとなく解読する月読からのメッセージ、いつかは事象として現れるのでしょうか。
最近、何かが変わってきたのかと思います。
それが私にとってマイナスなのかプラスなのかはまだはっきりしません。
ただ一つ言えるのは、私は現実の生活により近づいていっているように感じます。言い換えれば、パソコンやインターネットで作られた仮想の世界ではなく、あるいは身勝手な私の妄想の世界ではなく、私の肉体が置かれている世界のほうの比重が多くなったように感じています。
このことは、私が電子書籍を最初に出版したときから感じていたことでもあります。
しばらく様子を見るつもりです。
短歌は昨日の朝詠いました。
しめやかに夏霧(なつぶ)しみいる森の闇
さゆるのあれば萱草の花