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2022年8月6日土曜日

短歌の文体について--20220806


たましひの花と見ゆるか白むくげ凛と咲きける 空澄みし朝 is it a flower of the spirit ? an inspiring white rose of sharon blooms in the fresh morning air ©2016 Rika Inami 稲美里佳

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今日もそれほどは暑くありませんでした。

私の家の風通しが良いせいでしょうか。

最高気温時になる日中はエアコンのスイッチを入れていましたが、夕べにはオフにしました。

短歌で使われる文体について、しばしば口語体と文語体のどちらが良いのかいわれているようです。

これは、最近、私が自分の歌の文体に少し悩んで、世間一般ではどのようなことがいわれているのかと思い、調べたからです。

ある人が、「文語体で詠うのは恥ずかしいことだ」と書いていたのは驚きでした。

こういう意見も読んだあとで、私が思うには、その1首を詠う個人に与えられた言葉で文語体か口語体か決まるのではないかということです。

つまり、英語が母国語の人は英語で詠うように、フランス語が母国語の人はフランス語で詠うように、自己表現方法として人それぞれに与えられた言語で詠うようにです。

詠う内容・対象によっても決まると思います。

これも、個人が置かれた場が関係します。

対象への価値の置き処、同じ物を見ても、それがAの人にとっては貴重な物ではあるが、Bの人にとっては詠うに値しない無価値に等しい物と把えることもあります。

或いは、読み手に伝わりやすく表現するということがいわれています。

この点について、私の文語体短歌は読み難いのかもしれませんが、私自身は、私たち日本人は義務教育時から古文を学習し基礎は習得していると思うので、気にしていません。

理解されなければ、それは仕様がないことです。

これについては、口語体の短歌についても同様なことが言えます。

詠っているその対象とその歌の作者の心境を総ての人が認識し理解しているとは思えないからです。例えば、総ての人が東京に住み、東京の言葉を使い、同じ物を持ち、同じ人に接し、同じ心境ではないからです。

私は短歌を始めたのが、文語体からでしたから、短歌とは文語体で詠うのが普通であると思っていました。

が、Twitter やInstagram、Facebookで人気のある短歌、短歌誌で取り上げられる作品は多く口語体になっています。

目にした当初はそうした短歌に驚き拒んでいましたが、このごろは受け入れています。

理由は、上述のような理由からです。

おそらく、私は今後も文語体で詠ってゆくと思います。

5-7-5-7-7音、計31音という短い定型詩のなかで、簡潔に無駄無く自分をまとめあげるのは文語体を用いるのが私には適しているからです。

私の文語体は古語文法を用いることです。単語は新しく覚えた言葉を入れます。

今日もざっくばらんに言いたいことを書きました。このくらいにします。


歌は原爆忌への1首です。

以前にも掲載しましたが、フォト短歌にしてみました。






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